さんまのさんぽ。

一歩進んでは立ち止まる、22歳大学生の雑記ブログ。

2泊3日ボランティアの旅 〜倉敷市真備町〜

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【最初にご報告】

当初の予定では8/21~8/24と

計画していましたが、

台風の影響で23日のボランティアが

中止になったため、

22日の1日だけの活動となり、

2泊3日で帰ってきましたことをまずご報告いたします。

 

 

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倉敷に災害ボランティアに行ってきました。

 

どうまとめようかな、、

え、もう1週間経つやん、、!!

 

ということで、

今回は日記のような感じで

時系列に沿って

経験したことやそこから感じたこと、

考えたことを書き、

最後にボランティアをしての今の考え(ふわっとしたの)を書きます。

 

いつも以上にまとまっていません。。

すみません(笑)

 

 

また事前準備やpolcaに関しては

別途まとめようと思います。

 

 

8/21(火)前乗り日

 

22日を活動日に考えていたので

前日に倉敷に前乗りしました。

 

21日の昼に京都を出発。

高速バスで4時間揺られて17時過ぎ、倉敷着。

 

まず荷物がめちゃくちゃ重かったので、早速ゲストハウスへ。

1泊目お世話になったのがYuji-inさん

ネットで「倉敷 ゲストハウス」と調べてたら

ヒットしたのでここに決めました。

 

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リーズナブルなお値段で充実した設備。

海外の方もちらほらいらっしゃいました。

オーナーのゆうじさんはすごくフレンドリーな方です。

1人で来ても安心して宿泊できます、おすすめ。

 

 

そもそも初一人旅!初倉敷!だったので

夜までシンプルに美観地区を楽しみました。

 

美観地区今回の豪雨被害は受けていないので通常営業しています。

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…たのし!!!!!

 

きっと本来もっと人で混み合っているのでしょうが、風評被害の影響か、人は少なめな印象でした。

 

でもその分ゆっくりじっくり楽しめるので、逆に今が狙い目かも!

 

晩御飯を食べ、

ゲストハウスに戻るとそこで出会いが。

 

ドミトリー形式なので

同じ部屋で知らない人と過ごすわけですが、たまたま(?)相部屋になった方が、明日同じく真備町へボランティアしに行く人でした!

 

シノさんという静岡から来られた女性で、東日本大震災でのボランティア経験もある方。

初めて会ったとは思えないぐらい意気投合しました笑 

 

 

8/22(水)ボランティア活動日

 

8:50にゲストハウスを出発。

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(チェックアウトの際に記念撮影)

 

9時過ぎJR倉敷駅発の電車に乗り、

9:30前に新倉敷駅へと到着。

駅に降りると自分と同じような格好の人たちがたくさん。

 

新倉敷駅からボランティアセンター

(以下ボラセン)へと

送迎バスが出ているので

これに乗り込みます。 

私が行った時はバス2台で送迎をしていました。

 

 

倉敷市のボラセンは

中国職業能力開発大学校に設置されています。ボラセンまでバスで10分少々。

 

途中見える景色は、本当に緑豊かな土地でした。

 

果物園があったり、

畑仕事をしている人の姿も見えたり、

特に豪雨被害を感じるところはありませんでした。

 

ボラセンに着くと受付をして席に座り、説明を受けます。

作業の上の注意や、熱中症の予防法などをレクチャーされました。

 

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ここにもあるように

今回現地での写真撮影は自粛しました。

 

なので本記事には現場の写真はあまり登場しません。ご了承ください。

 

 

ボランティアは5人1組でグループを作ってそのチームで1日行動します。

 

私のグループは

・自分(初参加)

・シノさん(初参加)

・ワダさん

 (倉敷市在住の40代男性、災害発生当初から何十回も参加しているベテランさん)

・タイさん

 (岡山市在住、男性。驚異の74歳!

  パワフルおじいちゃん)

・ペイさん(大阪在住、30代男性、初参加)の5人でした。

 

私が行った時は体育館に

150人ほどのボランティアの方がいらっしゃいました。

随時、駅から人は輸送されていたので

1日の総活動人数はもっと多いはず。

全体の男女比は7:3ぐらい。

女性はやや少なく、

年齢層は40代以降の方の割合が

高かったように思います。

 

説明を受け、必要物資

(希望する人にゴム手袋、

粉塵マスク、ゴーグル、塩飴、

水分が配布されていました。)を受け取り、バスに乗り込み、ついに真備町へ。

 

ボラセンから10分ほどバスに乗ります。

 

途中外の景色は新倉敷駅からボラセンへの道のりと同じく

穏やかな空気を感じる田舎道という感じ。

 

ここでも特に被害を感じていませんでした。

 

 

 

あの橋を越えるまでは。

 

 

 

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(下の動画の一部をスクリーンショットしたものです。黄色の道を通って横長の赤丸に向かいました。)

 

www.youtube.com

 

真備町には小田川という川が流れています。

今回真備町で大きな被害が出たのは

この小田川の氾濫が大きな要因でした。

 

 

ボラセンから真備町に行く際

橋を通り、小田川を越えます。

 

 

見えてきた小田川

 

川辺にはショベルカーが何台も停まっていて、大きな流木がありました。

 

 

「これが被害をもたらした川かぁ」と、

橋の下を流れる小田川を見ていました。

 

つい1ヶ月半前、

この地域に猛威を振るったとは

思えないほど静かに、

穏やかに、流れる小田川

 

 

でも、その次に窓ガラスの向こうに

見えた光景に息を呑みました。

 

 

橋を渡りきったその先に

待っていたのは

それまでの緑豊かな町とは

全くの別世界、

 

 

茶色の町でした。

 

 

土埃が舞い、黄色く淀んだ空気。

屋根瓦の上に積もる土。

2階の窓ガラスは

そこまで泥水が来たのか茶色く汚れ、

田んぼだったと思われる場所は

泥が固まり全体がひび割れて、

道路は土に覆われていました。

 

 

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 この黒い車と同じ道を

私たちのバスも走っていたのですが

隣でワダさんが

この高架と同じ高さまで

水が来たんじゃ、と

教えてくれました。

 

 

見上げるほどの高さ。

 

「被災地」に来たのだ、と初めて

実感しました。

 

 

www.youtube.com

バスはおそらくこの動画と同じルートを通りました。

私が見たものがこの動画にそのまま映されていると思います。

 

 

バスを降りるとそこにも

小さなセンターが設けられており、

そこでグループのその日の活動場所を

割り当てられます。

 

私たちのグループは近くの一軒家の

お掃除でした。

センターでスコップ、一輪車、

土嚢袋などを受け取り現場へ。

 

歩いている間、町の様子を見ていましたが、人も車も全然いませんでした。

 

ここに元々住んでおられた方々は

避難所にまだ滞在されていたり、

親戚のお宅に住まわれていたりするそうです。

 

 

人のいない、静かな町。

 

 

 

町の風景が自分の地元と似ていて

余計ショックでした。

 

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(スーパーはテントを張って

    臨時営業しているか、

 まだ営業停止の状態でした。)

 

 

現場に到着。

 

今は誰も住んでいない、家。

壁も床も泥まみれ。

 

でもよく見ると

泥に埋まった靴下や時計

泥まみれのアルバム、年賀状など、

生活の跡がしっかりと残っていました。

 

 

ごく普通の生活を送る人々を、

突然災害が襲ったのだということを

ひしひしと感じました。

 

 

この一軒家ではおじいさんが一人暮らしをされていました。

この方は救助されて無事だったそうです。

よかった。

 

お孫さんの女性がお手伝いに来てくださいました。

 

10時半頃から作業スタート。

 

 

作業内容は

庭の泥をスコップですくい、土嚢に詰め、

家の前の道まで運ぶ作業がメインで、

作業時間の大半はこの作業をしていました。

あとは室内の畳を外に運んだり、

1ヶ月半の間で茂った草を抜いたり。

 

 

22日の岡山県の最高気温は35度。

20分に1回休憩を入れていても、

着実にどんどん奪われていく体力。

 

よく芸能人が災害ボランティアに行ったというニュースを見て

「売名行為」「偽善」と言う人がいますが、

絶対そんな薄っぺらい動機でできる作業じゃありません。

 

考えてみてください。

 

立っているだけでも汗が流れる35度の気温の中、

長袖長ズボンに

マスクとゴーグルをつけて、

何時間と直射日光を浴び、

7,8キロはある土嚢を全身で抱えて運び、

川の水と泥の匂いに包まれながら

砂埃と汗でドロドロという状況。

 

 

素直に言うと、

想像していたよりはるかにしんどかったです。

しっかり水分もとっていたけど

後半の方はフラッフラでした。

体と相談しながら作業を進めました。

 

14時半に作業を終了。

 

 

 

家の前でお孫さんとはお別れし、

センターに戻り、借りた器具を返却し、

長靴の消毒(泥や砂には菌がたくさんいるらしい)や

水分補給をしてバスに乗ってボラセンへ。

 

戻ってからは各チームで解散。

 

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 (駅まで一緒だったシノさん、タイさんと)

 

これでボランティア活動は終了でした。

 

 

休憩時間のたび、みんなでいろんな話をしました。

その中で印象に残っている話や、

そこから考えたことを自分の考えの整理も兼ねて書きます。

 

 ● 人災だった(?)

まず、岡山の方々(ワダさん、タイさん、お孫さん)は今回の災害は「人災だった」とおっしゃっていました。

 

先ほども申し上げた通り小田川の氾濫によって大きな被害を受けることになった真備町

 

この小田川の氾濫の危険性は実は以前からみんな分かっていて、

昔から小田川にバイパスを作る工事の話は進んでいたらしいのです。

 

でもその時は様々な反対意見があって工事は出来なかったそう。

 

そこからもう1度話が進み、

まさにこの秋から工事をすることになっていたのに、工事を目前にして今回の災害が起こってしまったそう。

 

その結果50人以上の方が

お亡くなりになってしまいました。

誰が悪いなどはありませんが、

悔やんでも悔やみきれないなぁと思います。。

 

gentleyellow.hatenablog.com

小田川のバイパス工事に関して詳しくはこの方がまとめてくださっています。

 気になった方はご参照ください。)

 

● 本当に役立つ災害対策とは。

 

「弱い人の立場に立って

 災害対策を考えられていなかった」

 

今回お亡くなりになった方の多くは高齢者でした。

その要因としては「避難指示」の深刻さを十分に理解できていなかったり、

2階に避難することが体力的に

自力ではできなかったりといったことが考えられています。

 

 

また、被害を受けられた方の中には

知的障害により避難指示をうまく受け取ることが出来ず、亡くなられた親子がいらっしゃったそうです。

 

このようにご高齢の方や障害を抱えた方など弱い立場にいる人たちがいざ災害が発生した時にうまく避難できるよう、

事前に対策を講じて置くことが必要だったとおっしゃっていました。

 

また、

ハザードマップは配られただけで

みんなちゃんと認識していなかった。

ハザードマップの講習会が他地域では複数回行われていたけど真備では1回しか実施されんかったとも聞きました。

 

 

「いくら「晴れの国岡山」でも、

 災害対策はちゃんとしとかんといけんかった」

 

被災された方から聞くこの言葉の重み。

これからに生かしていかなければいけません。

 

 

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(お昼ご飯にウィダーカロリーメイトを食べる私を見て、

そんなんだけ食べとる人見ると心配になるんじゃわぁ、これよかったら食べて、とワダさんがくださったおにぎり。

 めっちゃ美味しかった。お米食べるの大事。)

 

●支援物資は自分がもらって嬉しいものを

 

支援物資が全国から届いているそうです。

前提として支援物資にはすごく感謝しておられました。

ですがその上で、送られてくる古着や靴にボロボロのものが多いことを話してくださいました。

 

全てが全てではありませんが、

捨てようとしていたものを

こちらに送ったという感じのものが

大量にあって

誰も持っていかず、逆に場所を取ってしまっており、困っているということでした。

 

「自分がもらって嬉しいと思うものを送ってほしい」

 

 

いらないものを押し付けるのは「支援」とは言いません。

本当に支援する気持ちがあるなら自分がもらって嬉しいものを送りましょう。

 

 

● これからの暮らし

 

「リフォームするなら最低でも

 半年は家を乾かさないといけない」

 

7月から半年というと、

来年2019年の1

リフォームをするなら最低半年は

家が乾くのを待たないといけないとのことでした。

 

そして考えてみれば当然かもしれませんが被害を受けた全住宅が

リフォームをするわけではないということ。

 

まず「真備に住み続けるのかどうか」から考えないといけません。

しかもそれは周りの人たちの様子を伺いながら。

 

なぜなら町の機能が失われている場所で

1人住み続けることなどできないからです。

 

もともとご高齢の方がの割合が高かった、いわば過疎地域だった真備町

 

そこにこの災害。

 

他地域に避難をしている方々は

そこでの新しい暮らしを選択するかもしれません。

そのこと自体は全く悪くありません。

 

ですが真備町の人口の減少は免れないと思います。

人口が減った中でいかに復興していくのか。

 

地方が災害にあうということは

その地域の消滅を引き起こす可能性も含んでいることをまざまざと感じさせられました。

 

どうしてこうも地方は苦しまなければいけないのかなぁと

過疎地域出身の私は思ってしまいます。

 

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「元どおりの生活が送れるようになるのは、いつになるんだろう」

 

 

1番このことを考え続け、

不安になっておられるのは被災された方々だと思います。

だから被災された方々の前で絶対口には出しませんでした。

 

でも、考えずにはいられませんでした。

 

話を聞けば聞くほど、元の生活を取り戻すのに果てしないほど長い時間がかかることは想像に難くありません。

 

その土地の方々が

何十年、何百年にも渡って築いてきたものが、1回の豪雨で吹き飛ばされてしまった。

 

自然の力を前に、なんと人間は小さな存在なんだろうと感じずにはいられませんでした。

 

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(汗と土埃の跡が残るゴーグル)

 

 

●宿に戻って 

 

活動を終了して2泊目の宿へ。

yuurin-an.jp

 

2泊目は有鄰庵に泊まりました。

 

詳細はHPをみて欲しいですが、

とにかくオススメの宿です。

 

「えんをひろげる古民家」というコンセプト。

ただいま、おかえりと言い合うホーム感。

全国から集まる個性豊かな人々。

 

1度宿泊しただけで虜になってしまいました。

 

そして有鄰庵には豪雨ボランティアのための宿泊プランが用意されています。

yuurin-an.jp

 

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(HPより)

 

 

1泊2000円という価格設定や、

活動後そのままシャワーが借りれたり、

本当にありがたかったです。

 

そしてここでの出会いが自分の考えを広げました。

 

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(宿泊客、スタッフのニックネームが書かれたボード。

 毎日18時半からみんな集まっての自己紹介タイムがあります。)

 

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ここで出会った

なっちゃん、原さん、くわちゃん。

この3人は3人ともボランティアに参加されていた方たちでした。

 

しかもなっちゃん

関東から来た大学生でありながら

ボラセンで10日以上働いていたり、

くわちゃんは60歳でありながら

3日連続で活動していたり、

極め付けに原さんは70代でありながら 1ヶ月以上有鄰庵に泊まって(住んで?笑)ほぼ毎日真備で活動されていました。

 

 

そんな人たちと話をする中ですごく感じたことがありました。

それは

この人たちの中でボランティアは当たり前の行動なんだということ。

 

 

今の日本は

ボランティアに行く、行ったということが

堂々とは言いにくい社会だと思います。

 

少なくとも私は、

特に自分たち世代の人にボランティアの話をするとき、

「偽善」と思われるのではないか

という不安をいつも感じていました。

 

でもこの人たちと話していて

こんなことを気にしていた自分のちっぽけさに気がつきました。

 

この人たちの中ではボランティアは

「特別」ではなく、

普段の生活と繋がっているもの

 

偽善なのでは、と恥ずかしがるものでもなく、

偉い!と称賛されるものでもありませんでした。

 

助けを必要とする人がいて、

自分にできることがあって、

自分が使える時間と体力があった。

だから来た。

 

ごちゃごちゃやらない理由を考えるより、やる1つの理由を探すこと。

 

こんなシンプルな考えを

自分も大切にしたいと思います。

 

 

 

これから長期戦になっていく復興までの道のり。

 

できることを細く、長く、続けて、

関わり続けていくことだね

 

というなっちゃんの言葉が全てのような気がします。

 

 

●今ふわっと考えていること

 

2泊3日の旅を経て、

 

きっとこれから広島や山口など

他の地域にも自分は今後行くんだろうな、

そしてまだ行ったことない東北にも

そう遠くないうちに行くんだろうなと自然と感じています。

 

災害ボランティアを一生に一度の経験にはせず、一生に何十回の経験にしていきます。

 

 

そして今回、改めて本当に行ってよかったです。

 

自分の足を動かして、目で見て、

耳で聞いて、触ったことで得られたものがありました。

 

何の役にも立っていないのではという葛藤、

色々な人と出会い、交流できたことの喜びなど

リアルな体験をすることで感じる生の感情や感覚を

今後も大切にしていきたいです。

 

一歩踏み出した自分に、

きっかけを作ってくださった方々に、

そしてpolcaでのご支援で支えてくださった方々に、

感謝感謝です!!

本当にありがとうございました!

 

 

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polcaでいただいたご支援のこと、

準備物の反省などはまた別記事に書こうと思います。

 

どえらい長くてまとまりのない記事になってしまいました。

もしここまで読んでくれている人がいたら

ほんまにありがとうございました(笑)

 

この記事が

1人でも多くの人がボランティアや西日本豪雨について

考えるきっかけになっていれば嬉しいです。